酒田港線より分岐した先に東北農政局酒田倉庫があった。
ここに訪れたのは平成18年6月12日。
大正15年に建てられたこの建物は平成4年3月に倉庫業務が終了となり、平成10年6月に用途廃止となった。
酒田に建てられた理由として考えられているのが国内屈指の米の産地だったこと、また港町として栄えていたからであるらしい。その際建設用地として12,000坪の土地を無償で本間家8代当主光弥が提供している。
私が行った時は線路が撤去されていたが、米を積んだ貨物列車が行き来していたそうだ。
一見落書きに見えるが「雲形迷彩」といい、太平洋戦争時に空爆されないよう施されたものである。
酒田は昭和20年6月30日と8月10日にアメリカ軍によって空爆されている。8月10日の空襲では軍需工場があった大浜工場地帯や酒田港で甚大な被害が出ている。
また人的被害は死者行方不明者30名。
会計検査院によると平成22年〜24年までの間に屋根撤去や草刈りに429万円の維持費が発生していた。また買い手もつかなかったため、平成25年に解体着手、平成26年度中に解体が完了した。
この建物は役目を終え解体されてしまったが、いろいろな角度から町の歴史として残したい。